今回はJean Prouve(ジャン・プルーヴェ)と深いかかわりがある早間玲子さんについて。
早間玲子さんはジャン・プルーヴェのアトリエで約6年働いた実績があるとても偉大な方です。
1933年、東京生まれの早間玲子さんは、1959年に前川國男建築設計事務所に入所。ここでの前川國男との出会いが、後のフランスへの活躍に繋がります。
知らない方のために、補足すると前川國男は日本人で初めてル・コルビュジェの元で働いた人物です。
前川國男と入れ替わりで入ってきたのが坂倉準三です。
早間さんは1966年に交換留学生として渡仏。
当時、在仏日本大使公邸を新築することが決定し、坂倉準三が建築全体の監修をすることになりました。
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ル・コルビュジェの下で坂倉準三とシャルロット・ぺリアンは一緒に勤務しており、ぺリアン来日を推薦したのも坂倉準三です。坂倉準三がコルビュジェの事務所で働いていた時にはピエール・ジャンヌレもいました。
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このような繋がりもあり坂倉準三はぺリアンにインテリアをお願いすることになりますが、なんとそのインテリアの建設用の設計図を早間玲子さんは手掛けられています。
ペリアンのアトリエに出入りすることになった早間玲子さんはここで運命の出会いをします。そうです、ジャン・プルーヴェと出会います。
当時、ぺリアンのデザインを具現化するためにバックアップしていたのがジャン・プルーヴェだったので、度々ペリアンの事務所を訪れていました。
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また、日本大使公邸のファサードのカーテンウォールはジャン・プルーヴェが手掛けており、その現場での働きぶりや思想に感銘を受けた早間さんは、この後にプルーヴェの下で働くことになりました。
日本人初と思いや実はその前に前川國男建築設計事務所の先輩だった進来廉さんが働かれてます。なんと進来廉さんはル・コルビュジェ、シャルロット・ぺリアンの事務所でも働いたことがあるという経歴の持ち主です。
早間さんは6年間プルーヴェの事務所に勤務。
プルーヴェ最後の弟子となった早間さんはその後、プルーヴェの勧めでフランスで建築家として独立されてます。公私にわたりプルーヴェと親交があった早間さんにいろいろと当時の状況を聞いてみたいものです。
ル・コルビュジェ、シャルロット・ぺリアン、ジャン・プルーヴェ、ピエール・ジャンヌレ、坂倉準三、前川國男などなど、つながりすぎて当時の様子がとても気になりますね。
どんな感じだったんでしょうか。
それにしてもジャン・プルーヴェの事務所に勤務していた日本人がいたとは… しかも2人も。
恐るべし…
その早間さんですがジャン・プルーヴェの本を新しく翻訳されてます。
タイトルは 「構築の人、ジャン・プルーヴェ」です。
この本の肝心なところは、ただフランス語がわかる人が翻訳したのではなく、プルーヴェのもとで働き、プルーヴェのことを日本で誰よりも理解している早間さんが翻訳している点です。
プルーヴェ好きのみなさん、必見ですよ!!
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